泣き笑い
その高松宮記念のビデオはもうどこかへ行ってしまった。見返そうと思ったんだけど、もう記憶に頼るしかないな(笑)
雨の中、カメラを持って出掛けた中京競馬場への道。此処でGTが開催されるようになって以来、私はただ一度しかその開催日に中京競馬場へは行っていない。いつもの閑散とした(失礼)競馬場の、のほほんとした雰囲気が好きなのだ。重賞の時ですら、午後から競馬場に行って席が空いている、いかにも地方開催的な雰囲気が好きなのだ。GTの中京なんか行くもんかと思ったのは、前日たまたま友人どもと競馬場で勝負していて、帰る時に『徹夜組』を発見した時である。
その私が、朝早起きして、いそいそと準備をして出かける事が如何に稀有な事件であるかは、最早その時行動を共にしていた友人連しか知る由もないが、当時の私といったら土曜も日曜もギリギリ午前と呼べる時刻に目を覚まして、とっくの昔に競馬場で罵声を浴びせている(大抵負けている(笑))友人に電話で連絡を取って、午後1番(6R)に間に合うように家を出ると言った体たらくだったのだ。
全ては、ただ彼に会うためだった。わざわざビデオのセットまでして、白い綿シャツにフード付ジャケットを羽織り、Gパンにスニーカーといういつもの格好で家を出る。
たしか、もう雨が降っていた。そして、やまないと予報は言っていたような気がする。どんどん悪くなっていく馬場で、スギノハヤカゼだけは絶対に来ないなと確信していた。しかし当時私は彼にも入れ揚げていたので、うちの予想コーナーで対抗に挙げていたりもしている(笑) スギノハヤカゼともこの宮記念で初めて会ったのだが、それがまたかっちょわるい栗毛くんで、頭を抱えたっけ。因みに本命はシーキングザパール、単穴がエイシンバーリンで、件の馬は連下止まりである。というか、この時期この馬に印を打つ者などかなり少なかっただろう。
彼の名前を初めて見たのは、どこだったか。何のレースの時だったかは、もう全然覚えていない。ただはっきりと記憶に焼きついているのは、『もう銀メダルは要らない』と言うアオリである(笑) 察するに、飛び石で2着を繰り返していた95年スプリンターズから96年マイルCSの間ではなかろうか。『へー、惜しいレースばっかりやってんだ』とまぁ、最初はそんな感じで、でも多分、この瞬間に私はビコーペガサスという馬に思いっきりはまっていたのだろう。
96年と言えば私が本格的に競馬を始めた年でもあるし、その前の年の馬と言ったらウイニングチケットくらいしか分かってなかったはず。その私が何故94年に引退しているノースフライトを至上の牝馬としているかは謎なのだが、それは置いといて。
ほぼゼロから各馬の情報を集めているであろう時期に、『もう銀メダルは要らない』という言葉によって、彼が『勝ち負けできる強さを持つのに勝ちきれない馬』なのだと強く脳裏に刷り込まれたのか、以後は気がつくと彼の名前を探すようになっている自分に気付くというお決まりのパターン。所謂『判官贔屓』に近いものがあるかな。前世紀末〜今世紀はじめのステイゴールドに対する入れ込みようと大変よく似ているところを見るまでもなく、私はこの手の馬に非常に弱い。とことん弱い。
ビコーペガサスの略歴でも。
1991年2月8日生まれ。父Danzig、母父Condorcet。バリバリマルガイ。27戦4勝2着6回(笑) 重賞もふたつ勝っているが、何と言っても『あの』ヒシアマゾンを2馬身ちぎった京成杯が代表レースじゃないだろうか。
気になる2着はというと、94中スポ賞4歳(当時)Sを皮切りに、同スプリンターズS、翌95スプリンターズS、96高松宮杯(97までは『杯』でした。因みにこのGT格上げ第1回戦の日がナリタブライアン効果で未だに中京競馬場の入場者レコードです)、同スワンS、97シルクロードSと、見事なまでに重賞ばかり。まぁ彼自身重賞以外は2戦しかしていないので(新馬戦とさざんか賞(500万下)。どっちも勝ってるし。さざんか賞2着馬が後にダートで一時代を築いたライブリマウントである事が今判明(笑))当然と言えば当然なのだが。
馬体重は420〜442と、これまた私好みのちっちゃい馬で(笑) あ、毛色は何の変哲もない鹿毛。星も脚白もなーんもなし。
高松宮杯(記念)には3回も来てくれているビコーペガサスだが、最初と2回目は上記の理由で中京競馬場へは行かなかった。それが何故いきなり行く気になったかと言うと、『引退』の二文字が見えていたからである。旧表記で8歳。『次回はもうない』の予想は、現実のものとなった。この後安田記念に出走し、それを最後に彼はターフを去っている。
競馬場に着くと、まっすぐパドックへ向かった。雨のお陰で人は少ない。早くも横断幕が張られているようだけど、この分なら10Rのパドックくらいから張り付いていれば最前列は確保できるだろう。
建物から伺える人影を見遣りながら考えをまとめ、早速メインの馬券を購入。パドックを見てからでも恐らく買えたと思うが、もしも何かあって買えなかったら滅茶苦茶ショックなので、私はいつも先に馬券を買う事にしている。何故って、記念単勝馬券コレクターだから(笑) 絶対来ないと確信しているスギノハヤカゼの馬連も買っている。買わないで後悔するより、買っておいて『やっぱり来ないか(^-^;)』と思った方が精神的に楽だから(笑) 矛盾だらけの買い方だけど、楽しいからいいのだ。
時間が経つにつれ、雨は少しずつ激しくなっていく。朝のしとしと降りのままだったら、馬場はもしかしたら良でいけたかも知れない。まぁ、1ミリでも雨が降った時点でスギノハヤカゼの勝利はないのだけど(笑)
最初はフードで雨を凌いでいた私も、何時の間にか傘を手に本馬場とパドックを往復するようになっていた。この日はGT。友人連は私と同じ理由で競馬場には来ない。一人で黙々と歩き回って、黙々と金を使って(笑) 外で座れないのは結構辛い。朝早く来ていたから、座席は確保してある。GTとは言え所詮中京。並ばなくても席は余裕で取れるのだ。メインの時には、その席にはいなかったけれど。
パドックで、10Rの電光掲示板が消える。既に最前列に陣取っていた私は、それを合図にカメラを取り出した。レンズが雨に濡れないよう慎重に構え、やがて現れた11Rに出走する馬たちの名前を収めて、どきどきしながら待つ。祭りの前の静けさが、すごく好きだ。この日、雨だったせいか、パドックは黒山の人だかりという訳ではなかった。傘をさしても後ろの人の邪魔にはならないくらい、ゆったりとしていた。殆どの人は建物の中で映像を見ていたようだ。
隣にいる女の子二人連れは関西弁。遠征してきたみたい。好きな馬がいるんだなぁ、と思っていたら、それは私も好きな馬である事が後に判明する(笑)
一番最初に出てきたのは、1枠1番ワシントンカラー。ブリンカーをこの時初めて装着したんじゃなかったっけ。
そして1枠2番がビコーペガサス。帰宅後確認したら、パドック最前列に陣取っている私はしっかりテレビに映っていて、有力馬が前を通っても全然反応してないのが分かって笑えた。見ているのはほぼ一点。このレースに出ていたお気に入り馬を挙げると、シーキングザパール(1番人気)、ワシントンカラー(7番人気)、エイシンバーリン(5番人気)、ドージマムテキ(14番人気)、スギノハヤカゼ(3番人気)、そして12番人気のビコーペガサス。見事なまでに上下が分かれている(笑) しかし、一通り馬を見終えると、私の視線は一点に集中されていたようだ。もう少しくらい他の馬も見ていたつもりだったんだけど、たまーにTVカメラで捉えられる姿は、どう見てもビコーペガサスしか追っていない。
シャッターを押しているうちに傘が邪魔になってきて、ずぶ濡れ覚悟で畳んでしまった。フードを被って、レンズを手でかばいながら写真を撮っていたら、何と隣の関西娘さんsが傘をさして下さった(T-T) 御礼を言いながら尚もシャッターを切っていると、娘さんsの目当てがエイシンバーリンである事が発覚し、しばし盛り上がっていたりもした(笑) 『バーリン可愛い(*^-^*)』を連呼してたっけか(笑) 実際バーリンは当時もう7歳(旧表記)で、いい加減トウのたつ年齢なんだけど、ほんっとうに可愛くて速くて大好きだった。テンの100mの速さはエイシンワシントンと双璧だと今でも思う。
初めて見るビコーペガサスは、本当に何の変哲もない、小さな鹿毛馬だった。雨が嫌いなのかイレまくってる(まぁいつもの事だが)シーキングザパールや、走る気があるのか分からないくらいのんびり歩いていたワシントンカラーみたいに、その存在感を主張する事もなく、ただ淡々と歩いていた。意識して見ていないと、目の前を通り過ぎても気づかない程の存在感のなさ。少し悲しくなった。落日のせいだろうか。全盛期の彼を実際に見る事ができていたなら、印象は違っていただろうか。
いろいろな事を考えながら、ずっと見詰める。
今日の按上は、そして最後の按上もだけど、上村洋行騎手。一戦級の馬ではなかったから、色々な騎手が彼を走らせてくれている。武豊とか、的場さんとか。
騎手が跨っても、ビコーペガサスの見た目に変化はなかった。
お馬さんが全員地下馬道に消えると、関西娘さんsにお礼を言って本場馬へ。休憩のために確保しておいた席は、とっくの昔に放棄している。本場馬前は人がいっぱいだけど、少しでも近くでレースを見たかった。蹄の音を身体で感じたかった。
やがて本場馬に各馬が現れ、思い思いの方向へ駈けてゆく。そして発走が近くなると、誰からともなく傘が畳まれていった。正直驚いた。驚いて、嬉しくなった。
レースは、バーリンが逃げてシンコウフォレストが捕まえてワシントンカラーの突っ込み届かずって感じかな。DVDで確認してないけど、多分合ってるだろう(笑) 最速の上がりは2着ワシントンカラー(34秒7)で、2番目は何と6着に終わったビコーペガサス(34秒9)、そして3番目が7着ドージマムテキ(35秒0)9歳(旧表記)(笑) みんな若いなぁ・・・(笑)
勝ったのはシンコウフォレスト、2着ワシントンカラー、3着エイシンバーリン。帰り道、連れと携帯で話題になっていたのは『アタマさえ来てなかったら芦毛馬券だったのに(怒)』と方向性の違う憤りだった(笑) いやその連れってのが芦毛大好き野郎で(笑) しかし実際2年連続でシンコウの馬が勝つとは、これっぽっちも思ってなかったなぁ。
この後、引退レースとなる安田記念では、既に時代の寵児となっていたタイキシャトルが圧倒的な強さで勝利する。
時代の移り変わりを感じていたのは、私だけだろうか。
ビコーペガサスの引退を知った時、前時代の終わりを感じたのは、私だけだろうか・・・
2002.4.2.
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