泣き笑い


緑の渦巻き♪

第4回 見果てぬ夢へ(1999.凱旋門賞)


同世代の的場さんのお手馬としては、グラスワンダーの方が圧倒的に好きだった。
名前をちらほら聞き始めた時には、ダート馬だと思っていた(共同通信杯には笑ったね)。
NHKマイルカップの時には、短距離馬だと思っていた。
彼ではない、他のお馬さんの伝説のレースと化した毎日王冠では、距離への不安から、 そしてまったく心情的な理由から、彼を応援することは出来なかった。
彼を初めて見たジャパンカップですら、私の目は女王様・エアグルーヴに釘付けで、 残念ながら、彼の姿は殆ど記憶に残っていなかったりする。

エルコンドルパサー(El Condor Pasa)という名前の意味は『コンドルは飛んでいく』。 南米(ペルーかな?)の、有名な民謡だね。よく聞く彼の呼び名は『エルコンドル』なんだけど、 私は単に『コンドル』と呼んでいた。今応援サイトに行ってみたら『エル』なんて呼ばれ方もしてる。 可愛いなぁ・・・(笑) まぁ、私は熱烈なファンではないので、そこまで親しみ込めて呼べないけど(^-^;)
タイムと同じくらい、血統に弱い(よくこんなのが競馬やってると思うわ(-_-;))私でも、 コンドルが究極に近いインブリードだって事くらいは知っている。自分のためにも、 此処に5代血統表でも載っけてみようか。

エルコンドルパサー
鹿毛 1995
Kingmambo
鹿毛 1990
Mr.Prospector
鹿毛 1970
Raise a Native
栗毛 1961
Native Dancer Polynesian
Geisha
Raise You Cace Ace
Lady Glory
Gold Digger
鹿毛 1962
Nashua Nasrullah
Segula
Sequence Count Fleet
Miss Dogwood
Miesque
鹿毛 1984
Nureyev
鹿毛 1977
Northern Dancer Nearctic
Natalma
Special Forli
Thong
Pasadoble
鹿毛 1979
Prove Out Graustark
Equal Venture
Santa Quilla Sanctus
Neriad
Saddlers Gal
鹿毛 1989
Sadler's Wells
鹿毛 1981
Northern Dancer
鹿毛 1961
Nearctic Nearco
Lady Angela
Natalma Native Dancer
Almahmoud
Fairy Bridge
鹿毛 1975
Bold Reason Hail to Reason
Lalun
Special Forli
Thong
Glenveagh
鹿毛 1986
Seattle Slew
黒鹿毛 1974
Bold Reasoning Boldnesian
Reason to Earn
My Charmer Poker
Fair Charmer
Lisadell
鹿毛 1971
Forli Aristophanes
Trevisa
Thong Nantallah
Rough Shod

凱旋門賞をたんぱで聴いてる時に、 この血統は母方に力を入れたものだというような事を言っていたような気がしたんだけど、 私にゃよく分からない(^-^;) 取り敢えず、同じ名前のところを白く抜いてみた。 クロスは本数が多い方が何とかかんとかって、ダビスタでかじった知識はあるけど・・・ これは・・・綺麗なクロスだねぇ・・・フサイチコンコルドに見られたような体の弱さには無縁だから、 いい風にいい風に、このクロスが出てるんだろうなぁ。そいや、あのラムタラもクロスきっついんだってね (今仕入れた知識(笑))。

さて、本題に戻ろう。
10月3日の夜、某友人に凱旋門賞を実況中継すると約束していた私は、 10時前あたりで漸くNHKが衛星放送で凱旋門賞を生中継することを知る。放送は、10時半から。 凱旋門賞の発走は、こちらの時刻で10時50分。慌てて居間へ行き (居間のTVしかチューナーついてないのよ(-_-;))、TVをつける。んが、 アンテナの向きが悪いのか、衛星放送は全然綺麗に見られない。画像が、ぐにゅぐにゅ歪んでいる(T-T)  仕方がないので一旦自分の部屋に戻り、何となくたんぱをつけてみた。その、瞬間。
『上がりました、9番です!』
このレースがアベイユ・ド・ロンシャン賞である事と、勝ったらしい『9番』が、 あのアグネスワールドである事は、すぐに分かった。
アベイユ・ド・ロンシャン賞(1,000m)は直線コースを使った短距離の最高峰レースらしい。 アグネスワールドの他にドージマムテキ(通称『じい』(笑))も出ていたはずなのだが、 じいの着順は未だ不明(/_;) しっかし、まぁた勝ったかタケユタカ・・・(-_-;)
アグネスワールドが勝ってしまった(^-^;)事によって、コンドル・・・というか、 蛯名騎手にプレッシャーがかかったのは間違いないと思う。 去年のモーリス・ド・ギース賞とジャック・ル・マロワ賞が1日でやって来たみたいだ。
10時半になった。悩んだ挙げ句、たんぱを持って居間へ。歪んでいようが、画像が見たかったのだ。 幸い、音声はしっかりしている。電話の向こうの某友人との協議の結果、たんぱは消すことにした。
歪んだTVの画面では、最早蛯名騎手がコンドルに跨っている。コンドルは・・・落ち着いてるね。 「落ち着いてるね」そう言ったら、電話の向こうはちょっとだけ自慢そうに『いつも落ち着いてるから』 旨の言葉を述べた。ちょいとふわふわ歩いてるけど、本当に落ち着いて周回している。 解説の人も、ちょっと自慢げに(私にはそう聞こえたんだけど(^-^;)) 『この馬は、とても頭のいい馬なんです』と言っていた。レースになると、顔つきが変わるんだそうだ。
コンドルの顔、と聞いて思い出すのは、勾玉のような、大きな星。それ以外には特に目立ったところのない、 普通の鹿毛だったと記憶している。顔つきが変わったところは、見たことないけど。

ゲート入りが始まる。コンドルは、最内。凱旋門賞史上最悪とまで言われた馬場状態で、 差し馬にとってはあまりに不利な枠順だったろう。それでも直前のオッズはデイラミを交わし、 モンジューに次ぐ2番人気になっていた。
内枠を引いた時点で、最早蛯名騎手の腹も決まっていたのかも知れない。 ゲートが開き、さすがにそつなくスタートを決めた各馬が位置取りを決め始めた時、 先頭にいたのは何と見慣れた勾玉星だった。「おいおいおい、行ったよ!」思わず電話に向かって叫ぶ。 電話の向こうも『・・・へ?』と一瞬驚いたようだった。
流れはそのまま向こう正面へ。モンジューがいい位置にいる。デイラミの名前が呼ばれない。 あと有力なところと言ったら、ダリアバやタイガーヒル、 それにフォア賞でコンドルを破ったクロコルージュあたりか。画面が汚いので、 何処にどのお馬さんがいるのかさっぱり分からない。ただ分かるのは先頭がコンドルで、 2番手のお馬さんに2馬身ほど差をつけているということだけ。実況から、 動き始めて2番手に上がってきているお馬さんがタイガーヒルであることを知る。
そして残り500m。直線に入って、他馬も動き出したようだ。コンドルは相変わらず先頭。 タイガーヒルは、2番手に上がったものの、コンドルには迫りきれない。 残りは200m。このまま行けば・・・という思いが頭をよぎったその時。

「モンジュー来た!」
来た来た、やっぱり来た! いつの間にかモンジューがコンドルに並び掛けていたのだ。 気づかなかったのは、ひとえに画像が・・・(-_-;) でも気がつくと来ている、それはまるで、 いつものコンドルのような競馬。並び掛けられてからコンドルも必死に粘り、 差し返すところも見せてくれたんだけど、やはり3.5kgの斤量差はでかかった・・・・

「負ぁけぇたぁぁぁぁぁっ(T-T)」携帯電話片手に歪んだ画像しか映し出さないTVの前で、 がっくりと肩を落とす。端から見たら、結構間抜けだったかも知れない。 電話の向こうも、言葉にならない落胆の声をあげている。
TVを消すと、とぼとぼと自室に戻り、 つけっぱなしのパソコンをネットに繋いで今の出来事をネットの向こうの友人と話しながら、 色々考えた。内枠でなかったら・・・という、今更どうしようもない『たられば』さえもが頭をかすめる。 悔しい。悔しい。すっっっげぇ、悔しい。

『逃げ』という、ある意味賭けに出た蛯名騎手の騎乗は、間違いではなかったと思う。 というか、内枠で揉まれて行き場をなくし、脚を余したまま終わる危険を考えたら、 あれしか作戦はなかったのではないだろうか。奇策では、ないよね。 それに、競り掛けられたのにきっちり自分のレースをして、力を出し切って負けたんだから、 競馬自体についてはとても満足している。総毛立つような、素晴らしいレースだった。
でも、やっぱり、悔しい。

ライスやだいきちさんと電話でお話ししているうちに、ふとある事実に気づいて、 それを口に出してみた。
「これって、凱旋門賞なんだよねぇ・・・」
YUKIさんの言葉を借りれば『贅沢な話』である(笑)
ちょっと前まで、雲の上の存在だったヨーロッパ最高峰の競馬に出走する事だけでも大したものなのに、 その勝ち負けについて語れるようになるなんて、数年前には誰が想像しただろう。

日本で調教を積んだお馬さんが、遂に『あの』凱旋門賞で『勝てるかも知れない』 というところまで来ちゃったんだね。 コンドルが凱旋門賞を目標にするというニュースを聞いたときに、誰も無謀だとは思わなかった時点で、 それは既に感じていなければならなかった筈なのに、今になってそれが実感となっている。 コンドルの実力はジャパンカップで見せつけられていたけれど。
コンドルについては、いつもいつもレースの後になって、 やっと彼の実力を思い知らされているような気がする。
コンドルは、これで『記憶に残る』お馬さんになってくれた。 大好きなタイキシャトルがあやふやなお馬さんになってしまったのに対してコンドルは、 今年はJRA史には残らないかも知れないけど、去年のジャパンカップと比肩されるだけの 『記憶』を私たちに残してくれたと思う。
届きそうで届かなかった、あの着順と着差もいいよね(泣笑)

海外に出ていって頑張っているのは、今はまだ外国産馬君達が多いけど、いつの日か内国産の、 そして父内国産のお馬さんが、コンドルのように『記憶に残る』お馬さんになってくれることを祈ってやまない。

書いた後に知ったんだけど、エビショー、行ったのは予定外だったんだってね(^-^;)

1999.10.4.

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